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立浪和義の生い立ちについて!親に幼少期どのように育てられたかのか考察

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お疲れ様です〜トゲムーです★

今回は元プロ野球選手で中日ドラゴンズの監督である立浪和義氏について記事にして参ります💡

では早速★

立浪和義の生い立ち

元中日ドラゴンズで、「ミスタードラゴンズ」の異名をとる立浪和義。

とうとう監督就任がなされたところで、改めて立浪選手の生い立ちから見てまいりましょう☆

小学校〜中学校時代

立浪選手は1969年に大阪府摂津市で生まれました☆

茨木ナニワボーイズというチームで2つ上の兄を追いかけるように小学4年生から野球を始めたそう⚾️

意外にも遅めですね!

ちなみに小学校2年時に両親が離婚しており、この後から母親が片手で立浪選手を育てることになります。

小学校では地元の硬式野球チームに入り、その後地元の中学へ進学します。

その後、憧れであったPL学園へ入学しました★

PL学園高時代

1985年に名門PL学園高に入学した立浪選手は、1987年に主将として春夏甲子園に出場⚾️

同世代に片岡篤史氏(元阪神タイガース)がおり、3番が立浪、4番が片岡、という打順でした★

高校時代は走攻守3拍子揃った内野手として、甲子園でも活躍⚾️!

こちらが甲子園での守備シーン

同じグランドに、宮本慎也氏、片岡篤史氏がいるという!豪華メンツ⚾️!

それにしてもかなりダイナミックなプレーをフツーにこなしててすごいです!!!

なかなか今時の高校生だとこういうプレーをする選手は減ってきているのではないかと思います^^;

 

ちなみにPLでの寮時代は18人の同期のうち3人がなんと脱走💨という始末で、いかにPLの野球部が厳しかったかを物語っています。

そしてその中でも立浪選手はひょうひょうとしながらいつもバットを振り続け、努力を惜しまなかったようで、当時から異彩を放っていたようです💥

プロ入り後〜引退まで

甲子園での活躍からドラフト候補に名乗りあげた立浪選手は、南海ホークスと中日ドラゴンズの2球団が競合となったドラフトにて、くじ引きにより中日が交渉権を獲得

翌年、ドラフト1位でドラゴンズ入りした立浪選手は開幕1軍でかつスタメンに抜擢され、1年間レギュラーとして出場します(打率・223、本塁打4本、打点22、22盗塁)

そしてその後も大きな怪我に見舞われることなく、1989年の優勝をはじめ、1999年、2004年、2006年の優勝と、4度のリーグ優勝に貢献し、通算2480安打(NPB歴代8位)を放つなど、晩年は代打でも勝負強い打撃でファンを沸かせ続けて、引退。

三代目「ミスタードラゴンズ」と言われる中日の看板選手でした。

その後、解説者や臨時コーチなどを経て、2021年オフ、中日に監督として復帰することが濃厚となっておりましたが、正式に就任が発表されました★

立浪和義は幼少期に親にどんな育て方をされたのか?

PL学園の寮のエピソードからしても、厳しい環境下でも異彩を放ちながら自己を確立していった立浪選手。

では立浪選手は幼少期に親にどんな育てられ方をしたのでしょうか?

厳しくもありながら自立した生き方

詳しい情報は出てきませんでしたが、おそらく厳しくもありながら自立した生き方を教えられたのではないでしょうか?

それは立浪選手の生い立ち立ち振る舞いからわかることと言えるでしょう。

 

立浪選手のご両親は小学2年生で離婚しており、母親は化粧品会社に勤め、かなり多忙だったようで、高校時代、甲子園の決勝戦を見に来るのがやっとだったよう^^;

1階が化粧品屋さん、2階が実家という形で忙しく働かれていたそうで、兄とご自身で生活していく形で自然と自立が促されたのではないかと言えます。

また、好きな野球をやりながら母親が必死に子供を一人手で育て、週5日あった小学校の野球の練習ユニホームを必ず選択していた姿に立浪選手も影響を受けているという話もあります。

父親により左打ちに矯正される

また、父親に関しては、立浪選手を左打ちに矯正させたことが有名です。

立浪選手が歴代8位の安打数を記録できたのもこれが1つ大きなことだったんではないでしょうか🤔

打ち方を矯正するエピソードを通して、子供をしっかり教育する親の姿がここにも垣間見られると思います💡

 

このように立浪選手は両親、特に母親から自由でありながら自立するように育てられ、それを通して自ら自立した生き方を確立して行ったのではないかと言えるでしょう。

立浪和義の育ち方から学ぶ教訓

立浪和義選手は、その生い立ちや育てられ方を通して厳しくもありながら自立した生き方を学んで行ったということがわかったかと思います。

これを通して我々が学ぶべきことはやはり、「自ら考え行う」このことの重要性ではないでしょうか🤔

厳しい環境下に置かれた時、人はやはりその人の本性が出ると思いますし、自分を試されると思いますが、そこで人に頼ってその試練を克服するのか、自ら考え自ら抜け出して行くのか、はたまた諦めてしまうのかは大きくその差が出ます。

PL時代の寮のエピソードから考えると、精神的に非常に自立した選手であったことが伺え、それがプロで長く活躍し、またチームリーダーや選手会長としてファンから愛され、現在は監督にまで至ったところに起因するのではないかと思います💡

 

「自ら考え行う」こと、もちろん人に頼ることも時には重要ですが、親や先輩、友達に頼りすぎていては、芯の弱い人間になってしまうと思います。

立浪選手の育ち方を通して我々も改めて生き方を見つめ直したいものですね^^

まとめ

今回は元プロ野球選手の立浪和義氏について記事にして参りました💡

記事の内容をまとめますと、

  1. 元中日の立浪和義は1969年生まれでPL学園高出身で、ドラフト1位で中日に入団して歴代8位となる安打数を記録するなど活躍し、その後解説者などを経て、2021年オフに中日の監督に就任している。
  2. 立浪和義は幼少期に親から厳しくも自由に育てられたということが伺える。
  3. 立浪和義の育ち方を通して、「自ら考え行う」ことの重要性を学ぶことができる。

となるかと思います!

一人の偉大な選手を通して、やはりその選手の育ちを通して様々なことが学べますね!

生い立ちや育てられ方を通して選手を考察し、我々が学ぶべきものを追求して参りたいと思います💡

ご愛読ありがとうございましたm(__)m

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