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福留孝介はショートを守っていた?高校・社会人時代の成績やプロ入り後の守備についても

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お疲れ様です〜トゲムーです☆

今回は中日ドラゴンズに所属する福留孝介選手について記事にして参ります!

では早速☆

福留孝介はショートを守っていた?

2021年、古巣中日ドラゴンズに復帰した福留孝介選手。

球界最年長である43歳としてなおも衰えない情熱で現役を続ける同選手ですが、今から20年ちょっと前、福留選手のルーキーイヤーである1999年、遊撃手、つまり「ショート」としてレギュラーを張っていました。

今思えば「えっ!?」と思える事実で、年を追うごとに「そんなことがあったのか」と語り継がれる話だと思います。

実際にショートを守っていた当時の映像をみてみましょう★

結構華麗なグラブ捌きで捕ってから投げるまでも早く、ボールスピードは結構速く肩の強さが伺えます。

ただ時々「アレッ?」というようなミスも散見され、シーズンでは2桁以上の失策を記録し、終盤は交代されられることもしばしばあったというのが実状でした

ただ元々高校時代も甲子園で「背番号6」として主将として出場し、社会人時代はサードとして活躍していましたから、プロでショートを守っていたこと自体は何ら不思議なことではないのですが、今の姿からするとビックリですよね^^;

そして意外にもそのプレーが自然なので、あのまま内野手として守備も上手くなっていたらそれはそれで見ものだったかもしれません。

とはいえショートといえば守備職人の井端弘和選手がいましたから、結果的に外野へコンバートされたことはチームとしては非常に大きかったと言えるでしょう。

高校・社会人時代の成績

ドラフトでは7球団が1位指名

そんな福留選手は高校時代、PL学園で当時、清原和博氏以来の1年生から4番を務め、主将としてチームを牽引しながら甲子園でも大活躍★

甲子園では、最後の夏の大会の予選8試合で7本塁打を記録するなど、最後の年は特に大きく結果を残し、大会屈指のスラッガーとして注目を浴びました。

実際に甲子園でも2打席連続本塁打を放つなどその力を遺憾無く発揮★

春夏といずれも優勝には届きませんでしたが、その実力を見せつけ、スカウトたちを唸らせました。

7球団競合のすえ、球団を拒否し、社会人へ

甲子園で一躍その名を全国に知らしめ、当時「高校生No1野手」と呼び名高くしてプロ注目の選手だった福留選手。

当時のドラフト会議では7球団が競合し、近鉄バファローズが指名権を獲得★

しかしもともと福留選手本人が「中日か巨人以外であれば社会人へ」ということを宣言していたこともあり、入団を拒否し日本生命へ進むという決断に至ったのは有名な話です

そして社会人で数年プレーのち、は満を持して中日へ逆指名して入団ということになります。

ちなみに社会人時代は通算で、打率・383、33本塁打、96打点、25盗塁を記録しております。

プロ入り後の守備についても

2002年外野手へコンバートし、首位打者を獲得☆

2002年山田久志監督の元、内野から外野にコンバートされることになった福留選手。

当時の外野コーチの進言によってコンバートは実現したようで、またこの年には高校生の際にドラフト時にクジを引き当てた近鉄の佐々木氏が打撃コーチとして就任しております。

結果的にこれが功を奏したのか、打撃にさらに磨きがかかり、松井秀樹氏の三冠王獲得を阻むべく、首位打者(打率・333)を獲得したのでした☆

結果的にこの年から球界を代表する左打者に成長し、5年後にはメジャーリーガーとして海を渡ることとなりました。

強肩を生かし、外野手として捕殺を多く記録

打撃成績は然り、コンバートした外野ではどうか、というと、持ち前の俊足と強肩ぶりを存分に発揮し、多くの捕殺を記録するなどして5度のゴールデングラブ賞にも輝いています👏

当初は難があったクッションボールの処理やフライ処理に関しても安定感があり、失策に関してかなり少なくなっております。

実際の福留選手の外野でもプレーをみてみましょう!

こちらはセンターでの守備からのバックホーム。

ノーバウンドでホームに帰ってくるランナーを刺しておりますね!

画面上でも出ている通り、この年までで外野手として4年連続2桁捕殺と、その強肩ぶりをしっかりと継続的に発揮しているのがわかります★

こちらは日本に復帰してから、当時37歳のシーズンの時のもの。

捕ってから素早く投げて、アウトでもいいのではないかというタイミングの絶妙なプレー。

まだまだその守備能力が衰えてなかったことを証明していたと言えるでしょう

最後がコチラ!

メジャー時代のものも多く含まれますが、前・横・後ろとあらゆる角度でのボール処理に優れているかわかるでしょう!

みているだけでも興奮ものですね!!

福留選手はこれ以外にもたくさんの好プレーを連発していますが、日本では2002年、2003年、2005年、2006年、2015年にゴールデングラブ賞を受賞👏

まさに球界を代表する名外野手と言えるでしょう。

このように元々守備に難があった選手がゴールデングラブ賞にも輝くというのは、本人の努力もあったと思いますが、その才能や適性というのがいかに重要かよくわかりますね★

ちなみに海を渡ってメジャーリーグでもライトのポジションに関しては、守備指標に置いてリーグトップクラスの数値を出しており、その守備能力がいかに高かったかが伺えます

 

実際に2021年、中日ドラゴンズに戻ってから、4月3日に5番ライトでスタメン初出場して守備にもついており、43歳でありながら攻守に渡ってまだまだ活躍を見せてくれそうです^^!

まとめ

今回は中日ドラゴンズに所属する福留孝介選手について記事にして参りました!

記事の内容をまとめますと

  1. 球界最年長で現役を続ける福留孝介は、ルーキーイヤーだった1999年、当時「ショートのレギュラー」で出場しており、今考えれば驚く事実である。
  2. 高校時代の成績については、当時清原和博氏以来の1年生で4番を打ち、最後の夏の大会では予選8試合で7本塁打を放つなど当時「高校生No1野手」と称された。
  3. プロ入り後の守備については、4年連続で2桁捕殺を記録したり、あらゆる角度での捕球能力に優れて幾度となるファインプレーを見せるなど、通算5度のゴールデングラブ賞も記録している球界屈指の外野手である。

となるかと思います☆

今の現実を見れば過去のことなど到底想像もつかない選手もたくさんいると思います。

福留選手もまさにその一人。

野球も内野、外野とポジションが様々あり、その選手の個性にあってこそ、才能が開花し、長く活躍することができるとよくよくわかりますね★

続けて球界最年長の福留選手の「今!」に注目して行きましょう!

ご愛読ありがとうございましたm(__)m

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