スポンサーリンク
お疲れ様です〜💡トゲムーです!
今回は中日ドラゴンズに所属する松山晋也選手について、松山選手はなぜ育成だったのか?について記事にしてまいりたいと思います!
こちらの記事を通しては
成長過程と才能の開花に必要な精神
に関して参考になればと思います★
では早速!
Contents
松山晋也はなぜ育成だったのか?
改めて松山育成からの
日本代表って本当に夢を与えるよね pic.twitter.com/6b4pnLuHPX— もっかん負けん氣立浪ドラゴンズ全力応援 (@tatunami1008) March 7, 2024
中日ドラゴンズに所属する松山晋也。
2024年春先にあった、侍ジャパン代表戦にも選ばれるなど、2023年にルーキーイヤーだったとは思えない駆け上がりぶりで注目を集めている選手です☆
そんな松山は2023年がルーキイヤー、つまり2022年の秋にドラフト指名されているわけですが、当時は「育成ドラフト」での指名(1位指名)でした。
約1年ちょっとで育成から侍ジャパンに入るまで至ったわけですが、なぜ松山は育成だったのでしょうか?
大学時代の活躍が最も遅い時期だったため
松山晋也選手が育成契約だった1番の理由は”大学時代の活躍が遅い時期だったから”でしょう☆
松山選手は大学4年生の秋のリーグ戦で目立った活躍を見せたことで晴れてプロの世界に仲間入りすることができました。
逆に言えば、それまで目立った活躍をしてなかったため、高校時代も含めてプロからもそこまで注目を集める存在ではなかったということです。
とはいえ、ブレイクを果たすまでの過程は気になるところ🤔
改めてでは松山選手の高校・大学時代の生い立ちなど見てまいりましょう〜👀
松山晋也の高校・大学時代の生い立ち
高校時代
高校時代は八戸学院野辺地西高校へ進学。
松山選手は高校時代のポジションはピッチャーだったようです⚾️
青森県は、54校の高校野球チームがありますがベスト8あたりまで進出するような高校で、とりわけ強豪というわけでもなさそうで、聞いたことがない人は聞いたことがなさそうな学校です🤔
八戸学院野辺地高校は甲子園に出場歴はなく、2011年に県大会決勝にまで進出しておりますが、1-9で敗れております。
大学時代
大学は八戸学院大へ進学。
八戸学院大でもエースとして活躍していたわけではなく、3年秋に初出場するなど遅咲きでしたが、4年秋にはついに「リリーフ」として頭角を表し、150kmを常時超える威力あるストレートを武器に投球回数を上回る奪三振を記録する活躍を見せるなどしました💥
北東北大学野球連盟 秋季リーグ
1週目の試合結果VS岩手大学
【1日目】
◯八学大 5-0 岩手大●
責任投手:三田 隼輔(浦和実業)【2日目】
●岩手大 3-5 八学大◯
責任投手:松山 晋也
(八戸学院野辺地西)— 八戸学院大学硬式野球部 (@hgu_89) August 21, 2022
このような活躍もあり、ドラゴンズのスカウトから、2022秋のドラフト当日の支配下の使命が終わった際に「松山残ってますよ!」という一声もあり、「育成1位」で晴れて指名されることになったようでした👏💡
支配下で指名したチームがなかったということは、松山選手に他に注目していたチームがなかったのか気になりますが🤔
何はともあれ、支配下では指名されずに、これほどルーキーで早く育成から活躍する選手も珍しいものですね👀
松山選手にみる成長過程にみる教訓
松山選手は今や「育成の星」と呼ばれ、まだ今後の活躍など、キャリアはどのようになるかは全くわかりませんが、期待値はとにかくあがる一方💥
松山選手の成長過程を通して、我々も教訓にすべきことがあるのではないかと思います🤔
松山選手の成長過程(才能開花過程)を表にすると以下になります💡
西暦 | 状況(立場) |
2018年まで | 高校時代は無名投手 |
2022年9月 | 大学4年秋・リーグでリリーフとして活躍💥 |
2022年10月 | 同年秋に中日から育成1位でドラフト指名しプロ入り👏 |
2023年6月 | 支配下登録選手、セットアッパーへ⤴️ |
2024年春 | 侍ジャパンに選出💥 |
このようにわずか1年半で、大学の一投手が侍ジャパンに選出するまで駆け上がったということがわかります🤔
私自身もプロ野球選手を志していた身ではありますが、やはり大学の後半になってくると「そろそろ厳しいのではないか」と思って、現実的な路線(野球を諦めて就職したりなど)を選択することが多いのではないかと思います。
もちろんそれはそれで賢明な選択肢とも言えますし本人の自由ではありますが、諦めず続けて努力することで、才能が開花し大きな道が開かれる、ということを表してくれているのではないかと感じます✨
今となっては昔から活躍していたように思えてしまいますが、まさに松山選手は野球選手としてわかりやす「遅咲き」の代表例の1人と言えるのではないでしょうか!?
プロ野球選手の中に、なかなか大学4年まで無名でありながら、大学最後のリーグ戦=4年秋のリーグでリリーフで少し活躍しただけでプロの世界に入り、その後1年目で支配下となって、さらにはジャパン入りする選手はいないでしょう。
そんな2023-2024年はひたすら昇り調子の松山選手ですが、名実共に球界を代表する右腕になって欲しいなと思います☆
まとめ
今回は松山晋也はなぜ育成だったのか?高校・大学時代から徹底分析して参りました💡
記事の内容をまとめますと、
- 中日ドラゴンズの松山晋也はなぜ育成ドラフト指名だったかについては、頭角を表したのが大学4年の秋と遅かったためであり、それまでは高校時代も含めて目立った活躍をしていなかったためである。
- 松山晋也の高校・大学時代の生い立ちについては、高校時代は八戸学院野辺地高校に進学し、大学では八戸学院大に進学、4年秋からリリーフとして頭角を表したことで、同年秋にドラゴンズから育成ドラフト1位指名を受けている。
- 松山選手の成長過程にみる教訓としては、才能がいつ開花するかわからないからこそ、諦めず続けて努力する必要性である。
となるかと思います💡
たった1年半で大きく変化した松山選手。
我々の希望となってプロでも高みを目指して続けて頑張ってもらいたいものです✨
ご愛読ありがとうございました^^!
他の記事もよろしければぜひご覧くださいい☆
松山晋也の性格について!ドラフト前日の衝撃布団エピソードと合わせて!
スポンサーリンク