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お疲れ様です〜トゲムーです☆
今回は千葉ロッテマリーンズに所属している佐々木朗希投手について記事にして参ります!
では早速☆
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佐々木朗希の生い立ち
千葉ロッテマリーンズに所属する佐々木朗希投手。
高校生史上最速の163km右腕ということで何かと真っ直ぐのスピードが騒がれる球界の至宝ですが、その生い立ちなどを見て参りたいと思います★
まずは佐々木投手の基本情報からどうぞ
佐々木朗希の基本情報
身長・体重 | 192cm・92kg |
投・打 | 右投げ・右打 |
球速 | 最速163km |
球種 | スライダー・カーブ・フォーク |
出身高校・所属球団 | 大船渡高校(岩手県)・千葉ロッテマリーンズ |
一言 | 最速163kmを誇る令和の怪物右腕 |
佐々木朗希投手は身長192cmを誇る長身右腕で、2021年で20歳になる年齢になります。
言わずもがな、ストレートは最速163km(高校3年時に記録)を誇り、球が早いだけではなく、フォークボールのキレや、制球力もまずまずといった完成度も高い投手です☆
実際の投球映像(高校時代)はこちらをどうぞ
実はスピードの出るストレートばかりに注目が行きますが、高校生の時から変化球も多彩で非常に精度が高いのです☆
これが評価を上げている理由であることは間違いないでしょう。
そんな佐々木朗希投手の生い立ちをおって参りましょう。
小学生〜中学校時代
佐々木投手は、小学3年生から野球を始めましたが、キッカケは3つ上の兄の影響によるものだったようです。
そこから順調に野球人生を歩むと思いきや、小学3年生時に襲った東日本大震災(3.11)。
陸前高田市に実家があった佐々木家は被災の中心地であり、佐々木投手のお父様と祖母が他界されたのです。。
そんな悲劇により、やむなく家を引越さざるをえず、大船渡に引っ越してからは熱心に野球や生活指導に当たっていた父に代わって、兄の琉希さんがその意思を継ぎ、弟の佐々木投手を指導します。
佐々木投手は兄の指導がキツすぎて家に帰るのが嫌だったという話すら出るほど。。
それくらいお兄さんの熱量は凄かったのでしょう。
そこから佐々木投手も中学に上がり、徐々に「変化」が現れます。
お兄さんによれば
彼は中学3年生から野球への考え方がさらに変わった。
自主的に野球を勉強するようになった。
オール気仙という地元の野球エリートたちを集めたチームにて岩手県大会優勝、東北大会準優勝を飾るなど活躍。
それにより全国あまたの高校から誘いが来るようになりました。
ちなみに当時の最速は141kmだったようです。
高校時代〜プロ入り
数多くのオファーがあった中、高校は大船渡高校に進学。
大船渡高校は甲子園には過去1度しか出たことがない一般的な公立高校です。
大阪桐蔭高校からのオファーもあったとか。
「地元の仲間と甲子園に行きたい。」
という何よりも仲間思いの理由からだったのです。
また、
「公立高校でも頑張れば勝てるんだ、ということを証明したい。そして勝利によって岩手や東北を元気づけることができると思う。それが役目だと思う。」
このようにも語っていたようで、「甲子園常連校→プロ」という王道ルートではなく、下克上的な精神を持って、地元の人々を喜ばせたいという思いがあったことがわかります。
高校に入学した佐々木投手は特に目に見える形としては球速がみるみる成長していき、
- 1年生で球速147km
- 2年生で157km
- 3年生で160km(最終的に参考ながら163kmをU 18の試合にて記録)
を記録する成長ぶりを見せ、高校時代は甲子園出場は1度も叶いませんでしが、2019年のドラフト会議に置いてパリーグの4球団から1位指名を受け、千葉ロッテマリーンズへの入団が決まりました
【選択終了 ロッテ #ドラフト 一覧】#NPB #ドラフト会議
1位 佐々木朗希(大船渡)
2位 佐藤都志也(東洋大)
3位 高部瑛斗(国士舘大)
4位 横山陸人(専大松戸)
5位 福田光輝(法大)
詳細は→https://t.co/HgTEnKkzcX pic.twitter.com/wgKBIxT4FP— 日刊スポーツ (@nikkansports) October 17, 2019
千葉ロッテに入団後〜現在
晴れてプロ野球選手になった後、佐々木投手に待ち受ける極度の注目とプレッシャー。
いくらドラフト1位で復習球団が競合したとしても、プロで活躍できる保証はどこにもありません。
そんな注目のルーキーイヤーのキャンプ、そしてプロ野球選手として初めて迎える「3.11」でのインタビューでは、
「あの時のことを思い返すと、
こうしてプロ野球選手として野球ができる日々を本当に幸せに思います。
ただ今あることは当たり前ではありません。生きている身として亡くなった人たちの分も一生懸命生きていかないといけないと思っています。
日本全国、そして世界の人々の支えてもらったことへの感謝の気持ちを私は絶対に今後も忘れません。
活躍することで支えてもらった方々に恩返しをして、東北の皆さまに明るい話題を提供できるよう存在になれるよう頑張ります。」
このようにコメント。
プロ野球選手としての生業である「野球」ができることへの当たり前の感謝を忘れず、改めてプロの世界で戦っていくたくましい決意を感じますね!
そんな佐々木投手の1年目は1年目こそ「コンディション不良」だとか、「身体がまだ出来上がっていない」という諸事情もあり1、2軍で登板がなく、様々な意見が飛び交いましたが、2年目となった2021年の3月11日の翌日3月12日、中日戦にてオープン戦で初登板。
1回を無安打無失点でそのベールをついに脱ぎ、来たる5月、ついに1軍のマウンドで先発デビュー
勝ち負けはつきませんでしたが、5イニングを投げて3失点と上々のデビュー戦を飾りました☆
佐々木朗希の兄弟や父について

ここまで佐々木投手の現在までの生い立ちについて見て参りました。
次に佐々木一希投手のお父様やご兄弟について見て参ります!
佐々木朗希の父
佐々木朗希の父は、東日本大震災にて37歳の若さで他界されておりますが、野球の指導において生活面も含めて非常に厳しかったようですが、町の祭り事や行事ごとには率先して参加して、リーダーとして活躍していたようです。
そのため家族のみならず地元の地域の人々や地元陸前高田市長からも愛される存在で、先輩も後輩も皆ついていくようなリーダーシップを持った方だったようです☆
詳しくは以下を参照いただけますと、生い立ちの部分も含めて振り返れます☆
佐々木朗希の兄
佐々木朗希投手の兄は年齢が3つ上で、現在はおそらく就職して、社会人1年目を迎える年齢になります(2021年現在)。
大学は東北学院大学に通われていたそうで、もともと高校までは野球を続けられており、4番レフトを打つような選手で、活躍していたようです。
お父様が亡くなられてからは、すでに紹介した通り、弟に熱心に野球や生活の指導をされ、いまの佐々木朗希投手が成長する手助けをしたことは間違いないと言えるでしょう☆
素晴らしいお兄様ですね^^!
佐々木朗希の弟
佐々木朗希投手は3人兄弟の真ん中で、弟さんもいらっしゃいます。
弟さんは希さんと言い、佐々木朗希投手の年齢です。
佐々木朗希はプロ野球選手になることだけが目標ではなかった?
今でこそ晴れてプロ野球選手として堂々のドラフト1位でその世界に飛び込んだ佐々木朗希投手。
野球をやる人なら誰しも憧れる世界に対して佐々木朗希投手はどのような思いを抱いて板だのでしょうか?
仲間・地元思いの佐々木朗希
まず持って高校進学において、大阪桐蔭高校からの誘いを断ったエピソードを通して、佐々木朗希投手は、目先の自分の目標だけではなく、仲間思いの一面や、地元を愛する一面を持っていることがよくわかります。
「地元の人たちを元気にしたい」
こうした思いを持って高校野球、またプロの世界に飛び込んでいく人は正直そう多くは思います。
佐々木投手の場合は若くして被災したことが大きく野球人生に大きな影響を与えていることは間違いありませんが、その分視野の広い生き方というか、普通の高校球児とは少し違う観点を持って野球に取り組んでいるのも事実かと思います。
プロ野球選手になりたいと言ったことは実は一度もない
実際に佐々木朗希投手がプロ野球選手になるにあたり、本人がとにかくプロ野球選手に是が非でもなりたかったというわけではなかったとか。
これは兄の琉希さんによる証言ですが、おそらく本当ではないでしょうか。
もちろん心の底では誰もが憧れるプロ野球選手ですから、夢として1つ胸に抱いていたのは間違いないと思いますが、それよりももっと根本にあったのは野球を通して地元の方々などに勇気や希望を与えたいという思いではないかと思います。
「プロ野球選手になりたい」この一心で野球をやること、これも大事なことだと思いますが、人生様々な道がありますし、野球もある種1つの職業であり、プロ野球選手はほんの一握りしかなれない特殊な職業だと思うと、敢えてそこに拘りすぎなくてもいいのかもしれません。
まとめ
今回は千葉ロッテマリーンズに所属している佐々木朗希投手について記事にして参りました。
記事の内容をまとめますと
- 千葉ロッテマリーンズに所属する佐々木朗希は、小学3年生時で東日本大震災で被災して父と祖母を亡くしており、父の意志を受け継いだ兄によって野球と生活において厳しい指導を経たことでいまの成長に繋がっていると言える。
- 佐々木朗希投手が大阪桐蔭高校からの誘いを断った理由としては、地元の公立高校にて一緒に育った仲間と甲子園に行きたかったという理由である。
- 佐々木朗希投手は地元愛や仲間思いが強く、実はプロ野球選手になることが目標ではなく、実際に兄の証言によれば本人の口から「プロ野球選手になりたい」という言葉が口になったことはないという事実がある。
なると思います。
人生、キッカケ1つで大きく変化することは街あがいありませんが、佐々木朗希投手も決して楽な道のりを経て最速163kmのストレートを手に入れたわけではないことがよくわかるでしょう。
そしてその成長の影には兄弟の存在があったことは忘れてはならないことも事実でしょう。
ご愛読ありがとうございましたm(__)m
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