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宮城大弥の「お母さんありがとう」に由来する幼少期の伝説エピソード3選!実家や家族についても

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お疲れ様です〜トゲムーです☆

今回もオリックスバファローズに所属する宮城大弥投手について記事にして参ります!

では早速☆

宮城大弥の「お母さんありがとう」に由来する幼少期の伝説エピソード3選

今やパリーグで注目度がうなぎ上りの10代左腕、宮城大弥投手。

オリックスバファローズに所属する同選手は、2021年5月21日現在、4勝0敗、防御率は2.05(リーグトップ)の数字を残し、チームに大きく貢献しております。

高卒2年目ということで、まだあどけなさの残る甘いマスクも注目を集めている1つの要因です😊

この注目サウスポーですが、2019年のドラフト指名時にTBSテレビのプロ野球ドラフト緊急生特番「お母さんありがとう」という番組にて紹介された宮城投手の幼年期の伝説エピソード3選について見て参りましょう☆

①小学校時代に700円のビニール製のグローブにてプレー⚾️


まずは1つ目、宮城投手は、小学校時代、700円のビニール製のグローブを使っていたというもの。

こちらの背景としては宮城投手のご実家が経済的に貧しい状況だったことに起因し、通常のグローブを購入できず、やむなくそれでも愛する息子のためにグローブを買ってあげたということになります^^;

しかし宮城少年はそんな初めてのグローブを枕元において寝たり大切にしていたそうです☆

これだけでもすごくホッコリするエピソードですね^^

 

ただ、そんな姿を見たお父様がグローブをなんとかしようと、電子レンジに入れたところ、なんと溶けてしまったとか。。。

しかしそれに対して宮城少年は目が点にはなっていたそうですが、決して涙したり、お父さんを恨むことなかったそうです

なんていい子供でしょうか。。!

まさに感動のエピソードですね🌀

②小学校時代に最大6枚の継ぎ接ぎしたユニホームでプレー

2つ目も少年野球時代。

宮城投手は実家の経済的状況もあり、新しいユニホームを新調することなく、同じユニホームを長く使い続けるため、最大6枚を継ぎ接ぎしたユニホームを着ていたとか^^;

本人もさすがにこれに関しては多少の重さを感じて、動きにくさは感じていたようですね^^;

それでも不平不満を漏らさずにプレーする宮城選手はやはりすごい。。

また、ユニホームの状況ゆえにチームメイトから、その身なりを見て、チームの恥だとか、口さのない発言を受けていたこともあったようです💦

③具なしカレーライス


最後がこちら。

こちらも経済的事情によるものですが、それが本当に露わになってしまうエピソードではあります。。

それが何かといえば家のが具なしのカレーが続くことがあったということ🍛

このエピソード聞くと、本当に我々も胸打たれる話ではないかと思います^^;

 

以上3つのエピソードでしたが、そのような環境下で宮城投手が育ってきたことを通して、本当に大変な苦労を重ねて育ったのだと改めてわかったと思うと、今1軍のマウンドで投げている姿もまた何か違った面持ちで見ることができますね><!

宮城大弥の実家や家族について

宮城大弥の実家

ここまであげてきたように、宮城投手の育ってきた家庭環境は経済的に非常に貧しく、グローブ1つもまともに買えないような環境下。

その宮城投手の実家といえば沖縄県の宜野湾市

宮城投手はここで生まれ育ち、高校は甲子園優勝経験もある興南高校へ進んで甲子園にも2度出場し、見事ドラフト1位でプロ入りを果たしております☆

宮城投手は高校日本代表入りも果たしており、スカウトからの評価は上々でした☆

宮城大弥の家族

また宮城投手の家族構成はなんと「兄3人、姉3人、妹1人」の「8人兄弟=10人家族」!!

これだけの子供がいますと余計に家族を支える必要もあったことは間違いないでしょう。

そして何よりもその渦中にいたのがご両親ではないでしょうか。

 

冒頭と先ほどもあげた通り、宮城投手のご家庭は経済的に非常に厳しい状況下で子供を育て上げてきたという状況がありますが、具体的にはお父様が左肩に不自由を抱えていて、職を転々としていたことが背景にあります

そんな中、兄弟の中では下から2番目にあたりる宮城投手としても、上のお兄さんたち、上の姉たちを必死に育てる親の様子を見て、本当に様々な思いを持って生きてこられてきたのではないでしょうか。

 

実際にこちらの地元紙の抜粋をしますと(苦しい生活の中、支えた両親へ恩返しの一歩 オリックス1位指名の宮城大弥)、

「ごめんな、いつか恩返しするから」。オリックスから1位指名を受けた興南高校の宮城大弥投手が、遠征のたびに母・礼子さん(51)に口にしてきた言葉だ。

出費のたびに「ごめんな、(将来)恩返しするからな」と大弥さんは言い続けた。

という風に、親に迷惑をかけたくなかった宮城投手の心情と、プロになってから早く恩返しをしたいという思いが強く汲み取れます。

本当にプロで活躍して最高の親孝行をして欲しいですね><!

宮城大弥に学ぶ教訓

ここまで感動あり、涙ありのエピソード、「お母さんありがとう」という言葉の所以について掘り下げて見て参りました。

これらを通して改めて我々が宮城投手に学ぶべきことが何なのか最後に記したいと思います☆

①感謝の心を忘れない

これはもう本当に大事なことで、哲学にしたいくらいですね☆

宮城投手の感謝のエピソードを考えると、本当に自分たちは恵まれているとしか実感ができませんが、普段から当たり前のことに感謝したり、感謝できないことも見方を変えれば感謝できると思います

まずは両親をはじめとする家族お世話になって育ててくださった指導者(監督コーチ、上司、諸々)の方に感謝することから始めてみたいものです。

②環境を言い訳にしない

これも本当によく聞く話ですが、良くも悪くも言い訳にしがちなことだと思います。

「環境を言い訳にしない」ことを言い換えれば「環境に左右されない自分を作ること」でもあり、人は誰しも環境に左右されやすい生き物だということです。

2021年の新人で大きな話題を呼んでいる阪神タイガースの佐藤輝明選手もまさに父からこの精神を受け継いでいたりします☆

(詳しくはコチラからお読みください→阪神の佐藤輝明の高校時代(仁川学院高時代)のエピソード3選!実家や家族(弟・父)についても

宮城投手は経済的に貧しい環境下でも、また仲間から身なりのことで揶揄されても、くじけず、自分の得意とする野球という分野で挑戦し続けたからこそ、今があるとも言えるでしょう☆

③家庭環境が成長を大きく左右することもある

最後のこの項目も「良くも悪くも」という話になりますが、宮城投手の場合はこれが良い方向に働いたケース

すなわち家族や両親の状況を見て、「自分がなんとかしてあげたい」「親に恩返しをしてあげたい」という思いで野球に取り組み、今もなおそのような精神でプレーし続けているということです☆

しかし例えば家庭環境が理想的ではなく、両親が離婚してたり、片親に育てられたりするケースだと、子供が十分な親の愛を受け入れず、自立できなくなったり、問題が生じるケースが多いというのはよく耳にする話です

やはり身近な存在の与える影響力というのは大きいということが改めてわかりますね^^;

まとめ

今回もオリックスバファローズに所属する宮城大弥投手について記事にして参りました!

記事の内容をまとめますと

  1. オリックスバファローズに所属する宮城大弥投手の伝説エピソード3選としては、①小学校時代に700円のビニール製のグローブにてプレー⚾️②小学校時代に最大6枚の継ぎ接ぎしたユニホームでプレー具なしカレーライスである。
  2. 宮城投手の実家は沖縄県宜野湾市で、高校は興南高校へ進学し甲子園出場を経てドラフト1位でプロ入り、家族に関しては兄3人、姉3人、妹1人の8人兄弟の10人家族である。
  3. 宮城投手から学べる教訓としては、感謝の心を忘れない②環境を言い訳にしない③家庭環境が成長を大きく左右することもあるという3つである。

となるかと思います!

宮城投手を通して様々なことを考えさせられますね^^;

当たり前を当たり前を思わず、感謝する心、親孝行する思いなど、すごく学びにもなる話も詰まった感動エピソード満載の宮城投手でした。

宮城投手については過去の記事もどうぞ☆

宮城大弥は顔がかわいい画像一覧!ダルビッシュも絶賛の理由と新人王の可能性についても

ご愛読ありがとうございましたm(__)m

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