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お疲れ様です〜トゲムーです
今日は中日ドラゴンズに所属する高橋宏斗選手について記事にして参ります!
では早速★
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高橋宏斗(中日)は慶応大学を目指すも受験に落ちてプロ入り
中日ドラゴンズに所属する高橋宏斗投手。
2020年のドラフト1位指名された将来を渇望される逸材で、2022シーズンは開幕ローテーションにも入ってきたというところ。
そんな高橋投手ですが、今でこそプロでバリバリ活躍して行きそうですが、もともと大学進学を最優先に考えて、実はプロへの道は第二の道だったというのをご存知でしょうか?
兄の背中を追って慶応大への進学を目指す
高橋投手には5つ上の兄がいますが、兄の怜介さんが中学時代にシニアで全国優勝を果たしたことや、慶応大に進学していたこともあり、東京六大学の聖地である「神宮球場」で活躍することを夢見ていたというモノ。
つまり慶應大学進学に関しては、「兄の背中を追って」というのが一番大きな理由だったというワケです★
他にももちろん、「大学でしか学べないことがある」という理由で大学進学を検討していたようではあったそうでした。
慶應大学に落ちてしまう事件が発生
しかしながらここで「事件」が発生します
これを「事件」と言っていいのかはわかりませんが、ドラフトに多少なりとも影響力を与えたのが、この高橋投手の慶應大学の不合格事件。
すなわち、高橋投手は慶應大学へAO入試を受験したものの、結果は「不合格」だったというワケです。
明治神宮大会優勝の実績を誇る最速154km右腕といえど、コロナの影響もあってか、二次の面接が無くなった影響で一次の小論文での審査がメインとなったためか、不合格となった模様
これにより特に強い関心を持っていた中日は即戦力の獲得から一転、高橋投手をドラフト1位指名する戦略にシフトし、結果高橋投手を単独で1位指名することに成功しました
慶應大学に落ちたのは春夏通じて甲子園出場が1回もないため?
【甲子園】中京大中京の高橋宏斗は延長10回149球3失点完投で公式戦無敗の28連勝締め!(スポーツ報知)- Yahoo!ニュース https://t.co/gfF7SUn6gP
150キロを超える直球に、鋭い変化球を交えて11三振を奪い、聖地で印象に残る投球を繰り広げた。昨秋の新チーム結成から公式戦は負けなしの28連勝。 pic.twitter.com/x9jL7YPwMR
— のもとけ (@gnomotoke) August 12, 2020
そんな高橋投手、実は甲子園出場が一度もありません。
これは紛れもなく「コロナ」のせいなのですが、何せ2019年の明治神宮大会では優勝投手になっているわけで、センバツが例年通り行われれば、中京大中京高校は甲子園出場は当確だったわけです。
しかし異例の事態が発生した結果、春夏と結局甲子園は行われなくなり、やむなく甲子園交流試合をするのみの高校野球生活となってしまったのでした。
この年のスポーツ選手たちは苦労したことでしょう。
高橋選手も慶應大学を受験する際にプロフィールと小論文を提出したと思いますが、甲子園出場がないことが結果に響いたかは定かではありません、おそらくそれは同じ基準を考えればないハズです。
なのでどちらかといえば、AO入試は自己推薦入試なので、「文章を通してのアピールが不十分だった」というシンプルな理由が挙げられるのではないでしょうか。
生い立ちに兄の及ぼした影響
高橋選手の生い立ちを見ると、5つ上のお兄さんの影響が大きかったことがよくわかります。
中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けた高橋宏斗投手。お兄さんにお話を聞きました。
元日の「野球始め」で成長実感 ドラフト候補の中京大中京・高橋投手 兄が語る素顔https://t.co/c4ndJTvdtG#2020ドラフト会議— 毎日新聞アマ野球取材班 (@mai_intercity) October 27, 2020
こちらに記事でも兄弟で仲の良さそうな雰囲気が伺えます★
そして元々高橋選手は兄の影響を受けて野球を始めたことがやはり高橋選手の生い立ちに与えた一番大きな影響でしょう。
名古屋市近郊で生まれた高橋宏斗は、2歳のころから野球のグラウンドで育った。5つ年上の兄・伶介が7歳のときにリトルリーグで野球を始め、両親もそれについていっていたため、宏斗も必然的にグラウンドへ。小さくてかわいい宏斗は、ママたちのアイドルだった。
最初は砂いじり。そのうち小さな手でボールを持つようになり、バットも持つようになり……。伶介が中学生になって県内屈指の強豪・豊田シニアに入ったころ、宏斗は三郷ファイターズという軟式チームで野球を始めた。
引用:スポーツナビ
こちらの記事を通して兄の影響を受けて野球を始められたことがわかると思います。
そしてもう1つがやはり、慶應大学への進学に関して。
つまりプロよりも慶応大学の進学を優先に考えていたのは、5つ上の兄の影響によるものであったことです。
これは兄の怜介さんは中学のシニアで全国優勝を飾り(この時も神宮球場)、高校から神奈川の慶応大に進学し、そのまま大学も慶応大へ進学したことで、冒頭説明した通り、高橋選手もその背中を追っていたというもの。
結果的に高卒からプロ入り(しかもドラフト1位)することになった訳ですが、兄の存在が高橋選手のこれまでの人生や進路に影響を与えていたことは間違い無いでしょう。
まとめ
今日は中日ドラゴンズに所属する高橋宏斗選手について記事にして参りました
記事の内容をまとめますと
- 高橋宏斗は5つ上の兄の背中を追って慶応大学を目指すも、AO入試に落ちて中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受けてプロ入りしている。
- 高橋宏斗は慶応大学に落ちたのは甲子園出場なしが原因なのかについては、コロナの影響もあり、小論文に比重がかかったことが要因で、文章を通してのアピールが不十分だったと考えられる。
- 高橋宏斗は兄の影響で野球も始め、また進路に関しても最優先で慶応大も目指しており、その生い立ちに5つ上の兄の存在が大きな影響を及ぼしている。
となるかと思います。
高橋選手に関しての記事はこちらもどうぞ
→中京大中京の高橋宏斗は中日入りするのか?松坂大輔を超えの最速154キロを誇る秘訣についても
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